2011年9月28日水曜日

ポゴレリチ 【ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番&シューマン:交響的練習曲、トッカータ】

今回はポゴレリチのベートーヴェン&シューマン作品(DG・4105202)を。


 説明不要だとは思いますが、ポゴレリチと言えばショパン・コンクール参戦時に個性的な演奏を繰り広げて物議をかもした事でも知られる奏者で、演奏の特徴としては変態的とも言える楽曲解釈と、グールドに通ずる様な極力ペダルを抑制して行われるスタッカート奏法を駆使した超絶技巧による細部の緻密な描きこみが挙げられます。


収録曲
「ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番」
「シューマン:交響的練習曲」
「シューマン:トッカータ」

 この収録曲を見てみると「ソナタ形式」「変奏曲形式」「ポリフォニックなピアノ書法」と言う条件の複数に当てはまる曲を取り上げたものと推察できます。


 さて、ソナタ形式(第一楽章)と変奏曲形式(第二楽章)で成立している『ベートーヴェン・ピアノソナタ第32番』ですが、第一楽章の冒頭の左手オクターブによる減七度下降がまるで両手で処理したように(※映像作品では両手で処理しているようですが、音源では片手っぽいです)超高速で打ち鳴らされ衝撃的に幕を開けます(生演奏でもこのスピードで弾くのでしょうか?)。
その後、強烈なフォルテと極端な弱音の差を激しくつけて演奏される序奏部分0:00~1:54【この冒頭~1:47】に始まり、メトロノームようなインテンポ感で弾かれる16分音符が緊張感を高める推移部分2:30~【この2:26~】を含む第一主題を経て(力みすぎたのか2:52【この2:48辺り】で多少引っ掛ける所もありますが、それすら緊張感を醸し出す要素になっている様に思えます)、再び消え入るような弱音が印象的な第二主題2:56~【この箇所~】を奏した後で提示部の繰り返し3:55~【この3:50~】に入ります。
 展開部以降5:56~【この5:54~】では、スラーの付いてるものを除くほぼ全ての8分音符はスタッカート(気味)で演奏されてリズミックな表現がより強調されています。
この様な極端とも言える強音と弱音、レガートとスタッカートの対比がポゴレリチの演奏の重要な要素になっています。

 次は例の跳ねたリズム(と言ってはアレですが)でおなじみの変奏がある第二楽章ですが、ここでは第一楽章で聴かれた独特のカクカクとしたリズム・拍感や極端な強弱表現は多少緩くなっていますが、それでも他の奏者の演奏に比べるとかなり特異なものと言えます。
ただここまで徹底的に自分の表現を貫く姿勢と、それを実現できた鉄壁の技巧はある意味で流石と言えるかもしれません。


 続いては変奏曲形式によるピアノ独奏曲の傑作である『交響的練習曲』ですが、ここでも特定の曲を除いてソナタ32番で聴かれたような独特の拍感・強弱表現が見られ、その他にも遅い曲と速い曲の差の激しさがまず耳に残ります。ちなみに、このCDでは遺作変奏は演奏していません。
 まず主題ですが、非常にテンポが遅い上にルバートが印象的です(テンポが遅いので余計に揺れている様に感じられる)。
 
 練習曲1は打って変って例の「カクカク」としたリズム表現が顔を見せます。スラーの掛かっている音でもスタッカート(気味)に弾くので少々違和感があり、具体的には冒頭から続く「タッ、タッタ、ラッ、タッ、タッ、タッ、タラララ」と言うフレーズの最後の「タラララ」の部分の下降音形・0:04や0:07や0:12など【この1:25、1:27、1:30辺り】です。しかし、他の奏者は甘くなりがちなスタッカート、例えば後半開始時の冒頭0:22【この1:44辺り】や繰り返し時の0:44【この2:07辺り】などの初っ端「タ~ラッ、タ」ではキッチリとスタッカート及び休符を守っていて、
この様な細部の徹底振りはさすがです。
 
 練習曲2【この曲】では再び意味不明なほど遅いテンポで(楽譜指定では練習曲1と同じテンポなんですが)ルバートを多用した演奏を繰り広げたかと思うと、次の練習曲3ではまたカクカクしたテンポで弾いていきます。なお、練習曲3ではアムラン盤のような右手のスタッカート指示の無視は無く、聴き手が緊張感を強いられるほど精密にアルペジオを処理しています。が、後半の冒頭部分・0:30~【この箇所~】と繰り返し時の0:52~【この箇所~】から暫くは違和感が生じるほど極端に「accel.(だんだん速く)」していっていますが、そうする意味が良くわかりません(楽譜にaccel.の指示も無いですし)。
 
 練習曲4【この曲】も徹底的にスタッカートにこだわっており(楽譜にはスタッカートの指示は無いですけど)、カクカクとしたリズムと相まって、逆に主題との関連がよく理解できる演奏と言えます。
さて、少々長くなったのでここからは少し駆け足でいきますが、ポゴレリチの「交響的練習曲」で最も印象に残るのは練習曲6【この曲】でしょう。ペダルの使用が当たり前だと思われる(楽譜にも書いてますしね)この曲において、ポゴレリチは何を血迷ったのかほぼペダル無しで弾き抜いています(しかも超高速で)。開いたクチが塞がらないとはまさにこの事で、唯一無二の演奏とはこう言うものを言うんでしょう。
 
 次はこの曲集の中でも屈指の難曲として知られる練習曲9【この曲】を取り上げます。この曲もほぼ全編スタッカートの指示のある曲ですが、最高レヴェルのテクニシャンであるポゴレリチの全盛期の能力でもスタッカートを徹底するのはさすがに辛いと見え、他の曲で見られたような「キレ」は多少鈍っている上に、0:15~0:18【この10:51~10:54】での「右手の分厚い和音の連打」「左手の移動の幅が広いオクターヴ連打」を高速で同時に処理するこの箇所では
速いテンポ設定のせいもあってインテンポの維持が精一杯の様子ですが(と言っても、その辺の演奏よりかは遥かに完成度は高いですが)、殆どの人がペダルを踏んで演奏しても鍵盤を押え切れなかったり、発音が曖昧になったり、勝負を捨てて(?)安全運転なテンポで弾いたりしてボロを出してしまうこの箇所(リンク先の演奏も生演奏と言うハンデもあってかなり粗いですよね。興味のある方はお手持ちのCDやYoutubeなどで片っ端からこの箇所をチェックしてみて下さい)を、あえてほぼペダルを踏まずに処理しようとする「若さ」「オトコ気」は賞賛されるべきものでしょう。
個人的には「とりあえず無難に音を並べてみました」的な安全運転よりも、この手のいかにもピアノバカっぽい姿勢が好みだったりします。



 次はソナタ形式による曲である『トッカータ』ですが、彼がこの曲を演奏する際のテーマとしたのは【横の線の明確化】と【序奏とコーダを除いて、常にインテンポ&スタッカートな表現を出来うる限り死守】です。例えば、誰でも多かれ少なかれ歌ってしまいがちな第二主題・0:44など~【この0:47など~】も強弱を変化させるのみで淡々と進んでいきます。
 さて、この曲の最大の見せ場は展開部3:25~【この1:46~。この音源は提示部の繰り返しが無いので早めに登場です。】で登場するオクターブ連打3:39~【この1:58~】だと思いますが、このオクターブ連打自体は、例えばリスト・ハンガリー狂詩曲第6番のフリスカにおけるオクターブ連打とそれほどテンポは変わらないにもかかわらず、どの奏者もリストのその曲より何故か弾き難そうに弾く訳です。
とりあえず、以下の動画の2:02~を見てください


無編集動画ですが中々スムーズなオクターブ連打です。でも実はこれ、途中から左手パートをかなり省略・簡略化してます。
 この連続オクターブフレーズは左手パートにも難があるらしく、特に後半のイ長調に転調したところ(上の動画リンクでは2:11~。ポゴレリチのCDタイムで3:47~、【この2:05~】)はかなり難しいらしいんです(興味のある方は音源を片っ端からチェックしてみて下さい。弾けてない人がかなり多く、それにつられて右手もテンポが落ちたり、テンポを落とさないケースでも左手の表現は多少スッ飛ばし気味にして勢いで乗り切ってる場合もあります)。
 この転調後にオクターブが続く間の左手パート・3:47~3:54、【この2:05~2:13辺り】がどうなっているかを確認する為に下に楽譜を貼ります。イ長調に転調した2小節目から最後の一つ前の7小節目までの左手パートのリズムは全て同じパターンで、
最低音を「ズ」、和音を「ちゃ」と表すと、「ズ・ちゃ・ズ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ズ・ちゃ」と言うリズムになります(分かりにくい…)。
色んな音源や動画をチェックしまくった結果、この「ちゃ」の部分の和音連打が非常に弾きにくいらしく、実はポゴレリチですらその部分ではいつものような異常なまでの細部の明瞭さをキープできないでいます(音は出てますが少々引っ掛け気味なところもあります)。少し確認し辛いパートではありますがぜひ聴いてみて下さい。その上でさっきの動画を見ていただければどこをどう省略しているかが判る筈です(Youtubeにあるリヒテルのこの曲の動画の同じ箇所を見ればもっと判り易いかもしれません)。

 ちなみに、この部分の低音パートのみのリズムを2小節分書きますと
ズッズ~~~ズ~、ズッズ~~~ズ~、」と言うリズムで、これはこの曲の序奏のこのリズム
ダッダ~~~ダ~、ダッダ~~~ダ~、」と同じリズムだったりします(第一主題前半【この0:05~0:28辺りまで】の殆どの最低音のリズムもこのパターンですね)。


 ちょっと横道に逸れた感がありますが、最後にポゴレリチのトッカータについてもう一つ。インテンポを守る為に第一主題の推移部に移る寸前0:25【この0:28辺り】や2:07などで音を抜いてます。楽譜で言うとこちらの最後の箇所、 鍵盤中央の「ド」がポツンと孤立したような状態で存在しており一度に和音全体を掴み切る事が出来ないんです(2オクターブを一度に、それも一瞬で掴める程の巨大な手なら別ですが)。
 
 大抵の奏者は一瞬の間が空くのを覚悟でアルペジオ気味に中央の「ド」を弾くか、中央の「ド」を完全に無視してインテンポで進むか、直前の小節に食い込む形で早めにアルペジオして帳尻を合わせるかの方法で切り抜けているんですが、ポゴレリチの場合は状況証拠的にも、実際の音を聴いて確認してみても、この音を完全スルーしてるようです(著作権の問題があるっぽいのでリンクは貼りませんが、Youtubeにあるシュタットフェルトのこの曲の動画の同じ箇所でもポゴレリチと同じ処理をしていて、0:26あたりで確認できます)。

 以上、必要以上に長くなりましたが、とにかくここで聴けるポゴレリチの演奏は小さな点を除けばほぼ文句のつけようのない位の内容です。交響的練習曲だけをみても、例えばあのアムラン盤とは比較にならないくらいのメカニックの高さと細部の完成度があり、癖の強い演奏に拒否感がある方を除く全ての方が聴いて損はまずない名盤だと断言できます。

 最後に、今年の10月20日で53歳を迎えるポゴレリチですが、この演奏を録音した当時から順調にあさっての方向へ成長し続け、最近の演奏会では常人には全く理解出来ない演奏を繰り広げているという話です。


メデタシ、メデタシ


採点
◆技巧=97~92
◆個性、アクの強さ=100
◆聴き疲れ度=99