2014年9月30日火曜日

雑記・その14 【ユニークなピアニスト、リシッツァについてのお話等など】

 気が付けば一年ほど新規の投稿をしていなかったので、とりあえず、話のネタになりそうな小ネタや今後の投稿予定などを少々。


では、まず今回のタイトルに書いたリシッツァに関する小ネタから。


 このブログを御覧の皆さんならリシッツァ(Lisitsa)の事は御存知だと思いますが、彼女が自らYoutubeへ投稿した自身の演奏動画が反響を呼び、老舗レコード会社のデッカと契約を結んだユニークな経歴のピアニストと言う事ですが、そんな経歴以上にユニークなのがその演奏動画の内容です。

 何がユニークなのかと言えば、いわゆる「ピアノの難曲」をレパートリーにしている割りに難所が弾けていないと言う根本的な事柄はとりあえず置いておいて、最も特筆すべきは、難所や目立たない箇所などで音を省略したり改変して演奏することでしょう。



と言うわけで、ここからはそのユニークな彼女の演奏を少しチェックしてみます。




例えば、ショパンの練習曲・作品25-6を見てみると、
まずは重音による最初の上行フレーズの最後辺りで下側の声部が4音くらい鳴ってなかったり、序盤の見せ場である0:15辺りや0:19辺りからの3度重音による順次下降フレーズを弾き切れていない(重音になっていない)事などはまだ序の口で、この様な細部の粗雑な処理は曲中の他の箇所はもちろんの事、他の曲の演奏動画でも掃いて捨てるほど見受けられます。



 次に、同じくショパンの練習曲・作品25-8(6度重音の練習曲)の場合、
冒頭から「6度重音」ではなく「6度の和音連打」として弾いている時点で既に出オチ状態なのは御愛嬌として、中間部の終結部分(=0:29辺り)から両手ともに6度重音で下降するフレーズの最後、 楽譜で言うとこの辺りですが、
 この下降フレーズは御覧の通りに次のセクションである主部(=0:33)へ戻るまでの間、左右揃って弾き始めてからどちらのパートにも休符はありません。しかし、リシッツァは下降の途中(=0:32辺り)でサッサと左手の演奏を切り上げて次のフレーズを弾く準備をしています。
 
 
 もちろん、この手の事もこの曲に限らず他の演奏動画のあちこちで見受けられる事で、いちいち事細かに指摘するとキリがありません(いや、ホントに)。



  ただ、上記で指摘した事は物凄く甘い見方をすれば「うっかりミス」とか「不可抗力でそうなってしまった」と言えなくもないかもしれませんし、前述の作品25-6における重音の音抜けなどは慣れないと案外気付きにくいかもしれません(よく見ると当該箇所で鍵盤を押えていないのが目視で確認できるんですけど、テンポが速いので少々チェックしにくいかもしれません)。



と言う訳で、次は誰がどう見ても

「この人、マトモに弾く気が全然ないでしょ」
 って事がアカラサマに分かる(と思う)例を少し挙げてみます。



 まずはベートーヴェンのピアノソナタ・第29番、いわゆる「ハンマークラヴィーア」の第4楽章のフーガを見て下さい。
説明不要の難曲ですが、リシッツァはこの曲でもあちこちで省略などをしているのが確認できます。その中でも最も視覚的にチェックし易い箇所は中間辺りのキメの部分だと思いますが、今回はリシッツァの当該箇所をチェックする前にまずはその部分を他の奏者が楽譜に基づいて弾いている演奏をお聴き下さい。
 そして次に当該箇所の楽譜を御覧下さい。
楽譜に赤と青で印を付けたとおり左右両パートにトリルを絡めた非常に派手なフレーズですが、先に貼ったリンク音源や、他の色んな奏者の録音を聴けばわかるように滑らかでリズミックな演奏をするのは困難な箇所です。

     では、以上の事を踏まえつつ、左手パートのトリルに注目しながらリシッツァの当該部分(=5:14~)を御覧下さい。埋め込み動画をクリックすると当該箇所から再生します。

       





さて、次も難曲として有名なラヴェルの「夜のガスパール」よりスカルボですが、
リシッツァは相変わらずこの曲でもあちこちで音の省略や改変が行っていますが、その中でも最も視認しやすいであろう箇所を、先程と同じくまずは他の奏者による動画と、下に添付した楽譜で確認して下さい。
御覧の通り、左右の手を入れ替えながら下降して行った直後に両手揃って急速な上行を開始してからはフレーズ終了までどちらの手も休む暇がありません。


 では再び、上記の事を踏まえつつリシッツァの当該箇所(2:48~)を御覧下さい。
       



 ここまでリシッツァのユニークな演奏をサラッと見てきましたが、もしかすると「こんなのは詐欺と同じだ」と言う人も中にはいるかもしれません。 しかし、別にリシッツァの肩を持つ訳ではありませんが、「ピアニストは楽譜通り弾くのが当然だ」と思うのは聴き手の勝手な思い込みだと言う見方だって出来なくもないですし(さすがに無理?)、先に挙げたように、リシッツァは御丁寧にもキチンと弾いていない場面を動画でワザワザ見せ付けてすらいます。
 個人的には「演奏シーン無しの音声のみだったら気付かないかもしれないのに」とは思うんですが、この辺もリシッツァのユニークなところと言えるかもしれません(バレない自信があるのか、または、バレてないかどうかを確認するためにYoutubeへUPしているのかも知りませんけど)。

 このブログで以前書いた気もしますが、細かい所は度外視して目立つ所をそれなりに弾いた上でインテンポを維持してさえいれば『弾けている』と認識する傾向を私は「インテンポ信仰」と勝手に呼んでいるんですが、リシッツァの動画に対する高評価の多さやネット等での絶賛意見の多さ(「テクニックだけは凄い」などの意見も含む)を見ると、その手の傾向の人は予想以上に多いようです。
 実を言うと、このブログでリシッツァを取り上げるつもりはなかったんですが、「リシッツァの演奏と普通の演奏を比較しながら聴く事によって、細かい箇所をチェックする良いキッカケになるのでは」と言う余計なお世話な思いから今回の記事を書いた次第であります。

 先ほど述べたとおり、上記以外の曲でも彼女は色々と面白い事をやらかしてくれてるので、他の奏者の演奏と比較したり楽譜を見たりしつつ、間違い探しみたいなノリで細かくチェックしてみると結構面白いと思います。



  で、余計なお世話ついでと言ってはなんですが、「音を省略していようが何しようがリシッツァの演奏が大好き」と言う熱心な信者、ではなくファンの方達は別として、特に技巧好きを自認する方ピアノ学習者の皆さん、またピアノと関わりのある職業の方達におかれましては、

「リシッツァは素晴らしいピアニスト!」とか「世界一の超絶技巧の持ち主!」

みたいな事を不用意にネットなどで発言するのは出来る限り控えた方が良いと思います(ほんとに余計なお世話ですけど)。



以上、ヴァレテネーナ、いや、ヴァレテルーヨ・リシッツァに関するお話でした。



 で、今後の当ブログの予定について。 一年ほど前に同じ様な事を書きましたが、今年の年末までにはスクリャービンならびにプロコフィエフのピアノソナタ全集の寸評付き紹介を書こうと予定しております(ただ、寸評とは言っても結構時間が掛かりそうなので、とりあえず今回のリシッツァの小ネタを書いたって理由もあったりなかったり)。

出来るだけ早く仕上げられれば良いんですけど。